
2012年に「ダブルケア(育児と介護の同時進行)」という言葉が生まれ、ダブルケア当事者(ダブルケアラー)を中心に全国各地で少しずつダブルケア支援の芽が出てきましたが、まだ認知度が低いダブルケア。
もっと多くの人に知ってもらいたい。全国のダブルケアの支援の輪をつなげて広げたい。
そんな有志が集まり、2月2日を「ダブルケアの日」に制定。そして2月はダブルケア月間と定められました。
今回は、石巻市で子育てと介護のダブルケアをしている、柴田礼華さんの日々のお話を紹介します。
誰にでも起こり得るダブルケアについて考える機会になれば幸いです。
「泣いて笑って大忙し」
山口県出身の私は、17年前、学生時代剣道部の先輩だった夫の地元宮城県石巻市に嫁いできました。
現在の我が家は、画家であり、子ども支援を行うNPO法人の代表をつとめる夫49歳と、長女5歳、次女1歳、元体育教師の夫の父86歳、元看護師の夫の母87歳、申年生まれ45歳の私の計6人で暮らしております。
義父は要支援2(身の回りのことはおおむね自分でできるがサポートが必要)、義母は5年前に認知症を発症し、目もほぼ見えなくなり要介護1(日常生活全般において介護が必要)の状態で、我が家は高齢者介護と乳幼児子育てを行ういわゆるダブルケア家庭です。
我々夫婦はなかなか子宝に恵まれず、高度不妊治療を経て結婚から12年目で上の娘、その3年半後に下の娘を授かりました。私も夫も小さい時から剣道を続けており、どちらかと言うと体力には自信がある方でしたが、四十路の乳幼児育児はなかなかハードです。

上の子の妊娠がわかった令和元年あたりから、義母に異変があらわれました。思い返せば認知症の最初の兆候はお料理だったように思います。同じ献立が何度も続いたり、料理を焦がす、味付けが定まらなくなるなど、几帳面な義母らしくない状態が続き、決定的だったのは散歩に出かけて迷子になった際、道を聞きに行った先の福祉施設で自宅の住所や電話番号が思い出せず、結果警察に保護されるアクシデントが起きたことでした。それでもなかなか自分の病状を認められない義母に、「赤ちゃんが生まれる前に一緒に検査に行こう」と義父が提案して、認知症外来を受診し、アルツハイマー型認知症との診断を受けました。
その後義父も体調を崩して入院したり、それまで家事や買い物など、家庭の中のことを引き受けてくれていた2人が徐々に機能低下する中で、子どもが1人、2人と増え、この5年間はまさに綱渡りの日々…
幸い、近くに住む夫の姉たちが、老人たちの病院送迎や、子どもたちのお世話をサポートしてくれたり、石巻市の産前産後に使える家事援助や産後ケアも利用させてもらいました。今でも民間の家事援助サービスを週1回程度利用して、いろんな人や制度の力を借りて暮らしをつないでおります。

それでも同時多発アクシデントが起きると(たまたま夫不在の朝、次女が具合悪くて吐いてる横でおじいちゃんが薬を落としたと叫び、長女を幼稚園に送っていかないといけなかったとき)もう、何から手をつけてよいやら…パニックです。話が1番通じるようになってきた長女に「お母さん大変だから自分のことは自分でしてね!」ときつい口調で言ってしまい、あとで自己嫌悪におちいることもしばしば。
おじいちゃん、おばあちゃんが紙パンツになり、娘たちがオムツを卒業していく…そんな老化と成長の反比例を毎日観察しながら、泣いたり、笑ったり、にぎやかな日々を爆走中です。
<柴田礼華さんのプロフィール>

1980年山口県長門市(旧油谷町)にて生まれ育つ。
大学時代剣道部で知り合った夫と結婚し、現在は宮城県石巻市に在住。
剣道五段。鍼灸師の資格を持つ。
夫が代表をつとめるNPO法人にじいろクレヨンの活動にも関わりつつ、子育て、介護の日々をつづるコラム「今日も泣き笑い」を石巻かほく紙に連載中。